@近来象戯大全、元禄八年(1695年)32番目の棋譜、右香落、上手初代伊藤宗看・下手荻野眞甫正保二年前後(1645年前後?)の将棋で荻野眞甫が片美濃囲いを指している
A近来象戯大全、元禄八年(1695年)平手の24番の棋譜で美濃通遠・大阪次右衛門の棋譜で初めて平手の美濃囲いが指される
B象戯綱目、宝永四年(1707年)に平手定石の12番目の定跡に「64歩の次七四歩63金73桂・・・箕のといふ・・・(荻野)真甫将棋」
という、美濃囲いは荻野真甫の将棋であるという重大な記述がある。
C象戯図彙考鑑、享保二年(1717年)66番・67番に通音日長の指した美濃囲いの棋譜があり。
D象戯指南車、寛政三年(1791年)に通音流として美濃の通音和尚の記述あり。
E天狗太郎氏の従前の結論。平手の美濃囲いは大橋英俊が文政四年(1821年)の御城将棋で指したのが最初とする記述。
まとめ。
@ 従前の天狗太郎説は全くの誤り。
A 駒落ちでは荻野眞甫が片美濃囲いを正保年間に指したと思われる。高美濃まで発展させた指し方が真甫将棋として記述されているが、今の所棋譜は発見されていない。
B 通音和尚が現在の美濃囲いを指したしかも、早美濃囲いまで指している。
結論:棋譜も多数残っているし、早美濃囲いまで指している通音和尚を元祖に近い扱いをして良いのではないでしょうか?