失われし言葉

 このタイトル、ナンノコッチャと思う方も多いでしょう。私は子供の頃、親父から将棋を習ったのですが、親父は田舎初段程度でしたが、将棋の最中よく軽口を叩きました。道場にもそういうお年寄りがたくさんいました。でも最近は、どうもそういうものが聞かれなくなってきた様です。考えてみると、私が歳をとっても道場でそんなことを言うとは思えないし、NET将棋が普及すると尚更と思われます。現に、NET将棋のチャットで言うと、殆んど意味が解らない人ばかりでした。
 まあ、どうでも良いとは思うのですが、寂しい面もあるのも事実です。このまま、今のお年寄りが亡くなるに連れて失われた言葉になってしまうのでしょう。そこで私の記憶にある範囲で、残しておいてみようと思います。
 凡例:冒頭に○のついているものは、筆者が実際に言われたことのあるもの。「 」内が軽口。それ
     以外は解説等です。当然意味のないものも多数あります。また、藤沢桓夫氏の「将棋百話」
     からも一部引用しています。

○「どんどん良く鳴る法華の太鼓」形勢がどんどんよくなる時に言う
○「歩ばかり山のホトトギスか」手駒が歩しかない状態。ホトトギスのホも歩に掛けていると思われる。
○「やりたいほうだい自衛隊」形勢が大差の時に言う。槍・大砲・砲台などをかけている。また同意語に「やりたいほうだい気象庁(台)」(助役さんより)というのがある。
○「お前は既に死んでいる。」「死んでいることに気がつかなかったようだな。」漫画「北斗の拳」が流行った時、学生さんの間で流行りました。相手が詰んでいるのに気がつかない時に言う。類義語多数。
○「王手うれしや別れのつらさ」王手を掛けたり掛けられた時に言う。
○「王手仙助、名は喜助、喜助のカアちゃん器量よし」王手の時に言う。
「金銀光るカブト虫」手駒に金銀がある時に言う。
○「ええ手や、永貞元年は酉の八月」いい手を指された時に言う。
○「角成り果つるは理の当然」角を成る時に言う。類義語に「角成る上は是非に及ばん」がある
○「二歩やカラスの泣きわかれ」二歩を打った時に言われる。
「二桂(二階)から目薬と来たか」桂を二枚持っている時に言う。
○「二丁飛車に追われる夢を見た」「二枚飛車には○○も逃げる」
○「参ったさんに成田山」困った時に言う。
○「初王手目の薬」王手の時に言う。王手がそれだけ気持ちいいということ。そういえば、よく親父に言われたなあ
○「三桂あって詰まぬことなし」格言みたいですが、、、。実際は詰まないことが多いような、、、。
○「桂の高飛び歩の餌食」これは正しいですが、八五飛戦法だと餌食にならないことが多いなあ。
○「王の早逃げ八手の得有り」これも正しい場合が多いですね。
「王手(大手)が怖うて馬場へ行けるかい」これは関西の人に解説してもらいたい。
○「行かん河内の藤井寺」相手が「イカン」と言った時に言う。
「長い長いと聞いてはいたが」相手が長考派の時に言う。
○「強い強いと聞いてはいたが」相手が強い時に言う。私が中学になる頃には親父によく言われました。
○「ヘタの考え休むに似たり」
○「金桂香(錦鶏鳥)は唐のニワトリ」持ち駒に金桂香がある時に言う。
「角桂(脚気)、肥満か、腸満か」類義語に「飛桂肥満じゃ腸満じゃ」がある
「児を食う親は鬼子母神」相手が「こう来ると」と言った時に言う。
○「来たか、長さん、待ってた、ホイ」予想通りの手を相手が指した時に言う。同意語に○「来たか越後の紺ガスリ」「来たか、善六、茶の袴」がある
「嫁に行った晩や、好きなようにしてもらいまひょ」
「悪い悪いと国から便り」
「待っておくれと目に涙」待ったされた時に言う。
「堅いな。堅い屋敷へご奉公か」
「行けん、行けん。行けん源公にマア公にタア公」
「所沢の藤吉も王手には逃げる」
「アッと驚く阪田三吉」
「○○も裸足で逃げる」
「何はナンバ(難波難波)の小便使い」「お手は何?」と聞かれた時に答える。
○「会いたい見たいと目に涙」痛い手を指された時に言う。
「どんどろ大師は釈迦の孫」「どんどん攻めろ」の意
「金銀のみんな成り込む一ノ谷」勝ち将棋の時に言う。
「勝ちとみて和尚の昼寝かな」
○「取ること叶わぬ魚屋の猫」取れる駒があるが、取れない状態の時に言う。
○「弱った、弱った、弱った魚は目で解る。」不利になった時に言う。
「勝負は下駄を履くまで解らない。」これは格言ですね。稲荷さんより
「ひらりひらりと牛若丸」攻めをかわす時に使う。夜叉王さんより
「堅い人やな、養子の貰い手があるぞ」「片倉小十郎やな」相手が堅い手を指す場合に言う。夜叉王さんより
○「その手は桑名の焼き蛤」相手の手を見破った時に言う
○「スージーちゃん」相手が筋の手を指した時に言う
○「大海人皇子」(オオアマノオウジ)相手が甘い手を指した時に言う、歴史にも掛けている
「ト(都?)の当然、シ(市?)の自然」当然手の時に言う?雉雉 さんより
○「映画全巻の終わり」将棋が終わりの時に言う。雉雉 さんより
「と金が○枚、〜」手駒を聞かれた時、手駒に歩がある時に使う。渡辺茂昭さんより
「桂角(計画)あって金(かね)はなし」
「歩三(文)はやりたし角手(書く手)は持たぬ」
「桂馬のふんどし三角関係」
「角桂(かくけ)兜の緒をしめろ」
「香角とあっては手ごわいぞ」
「何でも有馬の水天宮」
「香(今日)あって明日ない命」
「飛車金(借金)で首が廻らぬ」
「金角寺(金閣寺)の和尚」類義語に「銀角寺(銀閣寺)の和尚」がある
「勝った勝った(カタカタ)と下駄の音」
「桂して遠ざかる」
「桂(毛)ばかり生えたお姫様」
「ヒヨコ(歩)一力(いちりき)やのホイホイ」
「不動の金しばり」
「愈々(いよいよ)逃げ出しうどん」
「律義者の歩(子)沢山」
「冬の蛙でかんがへる」
「歩断大敵(油断大敵)」
「銀桂と小町は馬鹿だなあ嬶(かかあ)」
「飛車(秘所)で往生」
「御手手で金角(掻く)」
「歩桂気(不景気)な話」
「飛車婆(娑婆)と冥途の分かれ路」
「お歩丈(おふざけ)シャンすな未だ詰まぬ」
「これから先は夜(寄る)の雨」
「角桂よい(はっけよい)やのこった」
「此処に手あらう手水鉢」
「歩指坊(武蔵坊)べんけい」
「ヤリヤリ御苦労」
「桂視庁(警視庁)」
「頭かく(角)ばかり」
「成り金ばかり」
「負けまして(明けまして)お目出度う」
「飛車に歩で突貫」
「金三位頼政」
「坊主の頭で桂(毛)がない」
「将棋は金銀でさす」
「勘違い!炬燵で母の手を握り‥‥!」 自分の勝手読みに気が付いた時の感嘆符。松崎 宏 さんより
「なんたるコトを! さんたるちあ!」(惨タル)自分の勝手読みに気が付いた時の感嘆符。松崎 宏 さんより
「ヤケのやんぱち、日焼けのナスビ!」 自爆攻撃する時。松崎 宏 さんより

こうして見ると、私も結構言われているのに驚きました。

このページの頭へ

トップページへ