寛文三年(1663年)「象戯鏡」として出版されたのが原本ですが、これは評の付いてない物でした。これに評を付けた物が元禄十六年(1703年)に「古今象戯評判」として出版されました。
この本は2番目に古い手合集で重要な物と言えるでしょう。初代宗桂と本因坊の将棋をはじめ、初代宗看と荻野真甫との将棋。注目は檜垣是安で、吐血の一局はこの本には載っていないのですが、それ以外の角落ちは是安の五連勝で、手合違いです。丸田九段も書いてますが、私も初代宗看と是安は、平手でもいい勝負なのではないかと思います。ていうか是安の将棋の方が並べてて面白いです。それまでの人ならはっきり言って弱いのですが、是安の将棋で格段に強くなった印象を受けました。
又、特筆すべきことは、将棋に評があることです。(三代宗桂と是安の合評と言われているそうです。ということは、是安が吐血して直死んだというのは出鱈目ということです。)手合集に評が付くのは以降明治時代になるまで、無かったようなので、その意味では最初にして最も親切な手合集であったといえるでしょう。(以降のは手順だけで、初心者向きとはとてもいえませんからね。)
兎に角、今まで将棋史では切られ役だった是安の棋譜を楽しんで下さい。(私は平手で負ける可能性があったから、伊藤宗看は駒落ちしか指さなかったのではないかと邪推しているくらいです。段位による駒割重視もありますが、昇段させなかったのは平手が嫌だったからとか、更に妄想してしまいます。)
番号 | 対局者 | 手合 | 番号 | 対局者 | 手合 | |
1 | 初代大橋宗桂・本因坊算砂 | 平手 | 26 | 三代大橋宗・鍵屋庄兵衛 | 飛車落 | |
2 | 初代大橋宗桂・本因坊算砂 | 平手 | 27 | 三代大橋宗・鍵屋庄兵衛 | 飛車落 | |
3 | 初代大橋宗桂・本因坊算砂 | 平手 | 28 | 三代大橋宗・鍵屋庄兵衛 | 飛車落 | |
4 | 本因坊算砂・初代大橋宗桂 | 平手 | 29 | 初代伊藤宗看・荻野眞甫 | 右香落 | |
5 | 本因坊算砂・初代大橋宗桂 | 平手 | 30 | 初代伊藤宗看・荻野眞甫 | 右香落 | |
6 | 廣庭中書・和泉屋善兵衛 | 平手 | 31 | 初代伊藤宗看・荻野眞甫 | 左香落 | |
7 | 三代大橋宗桂・廣庭中書 | 角落 | 32 | 初代伊藤宗看・荻野眞甫 | 左香落 | |
8 | 三代大橋宗桂・鍵屋庄兵衛 | 飛車落 | 33 | 初代伊藤宗看・荻野眞甫 | 右香落 | |
9 | 三代大橋宗桂・鍵屋庄兵衛 | 飛車落 | 34 | 三代大橋宗桂・檜垣是安 | 右香落 | |
10 | 初代伊藤宗看・荻野眞甫 | 右香落 | 35 | 初代伊藤宗看・檜垣是安 | 角落 | |
11 | 初代伊藤宗看・荻野眞甫 | 右香落 | 36 | 初代伊藤宗看・檜垣是安 | 角落 | |
12 | 初代伊藤宗看・荻野眞甫 | 右香落 | 37 | 初代伊藤宗看・檜垣是安 | 角落 | |
13 | 初代伊藤宗看・荻野眞甫 | 右香落 | 38 | 三代大橋宗桂・檜垣是安 | 左香落 | |
14 | 松本権兵衛・別所素庵 | 右香落 | 39 | 初代伊藤宗看・檜垣是安 | 角落 | |
15 | 大橋宗古・左海久圓 | 角落 | 40 | 三代大橋宗桂・檜垣是安 | 右香落 | |
16 | 三代大橋宗桂・檜垣是安 | 左香落 | 41 | 三代大橋宗桂・檜垣是安 | 左香落 | |
17 | 三代大橋宗桂・檜垣是安 | 右香落 | 42 | 初代伊藤宗看・檜垣是安 | 角落 | |
18 | 三代大橋宗桂・檜垣是安 | 左香落 | 43 | 檜垣是安・和泉屋善兵衛 | 右香落 | |
19 | 檜垣是安・石田似仙 | 右香落 | 44 | 檜垣是安・和泉屋善兵衛 | 右香落 | |
20 | 三代大橋宗桂・檜垣是安 | 左香落 | 45 | 檜垣是安・和泉屋善兵衛 | 右香落 | |
21 | 大橋宗古・廣庭中書 | 飛車落 | 46 | 檜垣是安・松平宗左衛門 | 角落 | |
22 | 初代伊藤宗看・廣庭中書 | 角落 | 47 | 三代大橋宗桂・檜垣是安 | 左香落 | |
23 | 廣庭中書・和泉屋善兵衛 | 平手 | ||||
24 | 和泉屋善兵衛・廣庭中書 | 平手 | ||||
25 | 廣庭中書・和泉屋善兵衛 | 平手 |
前後しますが、この手合集は47番で終わりです。
対局者について補足しますと、松本権兵衛は争い将棋で有名な後の紹尊のこと。また石田似仙は石田流創始者の石田検校のこと。鍵屋庄兵衛は後の森田宗立のことです。
余談ですが、十九番の将棋は三十五手で終了していて、長い間短手数将棋の記録としても知られている棋譜です。