象戯亀鑑

 「象戯亀鑑」は山崎勾当阿誰一著、正徳三年(1713年)発行の実戦集で、美濃判一巻。五代宗桂と山崎勾当の将棋をメインに30番収められている。私の所有しているものは、国会図書館収蔵の写しで、江戸日本橋四丁目、須原屋四郎兵衛板である。
 山崎勾当は(この本の中では多川勾当の名ですが)当時屈指の民間棋士でまた残っている棋譜で確認したところ、60年くらいは将棋を指していることになっている。当時としては長寿でしかも強い相手と指しているのは特筆すべきだと思う。
 この本では五代大橋宗桂を圧倒していますが、これとは別に10番勝負を行っているが、それは大橋宗桂が6番勝っているらしい。
 この本については、山崎勾当が勝った棋譜ばかり載せたので、大橋家の怒りをかい、発禁になったとも、破門されたとも言われていますが、真相は不明です。
 また山崎勾当は将棋の教授もしていたらしく、日本文人画の先駆とされる柳里恭の「ひとり寝」に、「将棋をさすにも、詰め際に成て考へるもの多し、余が母(山崎勾当の弟子にて、はなはだつよし)いひしは、詰際より案ずるは初心のうち也、駒組のうちより詰際を案じてさせといふ。」とある。ちなみにこの文章は女性が将棋を指す記述としては最古のもので、元祖女流棋士といえなくもない。脱線しますが、駒組が大事で終盤まで見越して指せとは、中々強豪だったのだと思う。又、当時は武家の嫁入り道具に囲碁・将棋・双六があったので、武家の女性の嗜みとして覚えさせられていたのだと思われます。
 あと、山崎勾当は五九金(48銀38金28玉)配置の陣形が多いのですが、これは山崎勾当の発案だと書かれています。後にどう間違ったのか、合掛かりの48銀59金69玉の陣形を山崎流としているものもありますが、誤りだと思う。
 ただ、この山崎流(五九金(48銀38金28玉))余り良い陣形とも思えない、五筋の歩を切ることが多いので58歩と叩かれる筋が残るし、飛車で89や99の桂香を攫われた後に、57香や67桂などがあって、同じ手数を掛けるなら美濃囲いの方が勝ると思います。でも美濃囲いはこの時代は一般的では無かったから仕方ないのでしょうけど、、、。
 前後しましたが、勾当ですので眼が見えない訳で、そんな中でこれだけ指せれば、眼がもし見えていたら、将棋家にもひけを取らない実力になったと思われます。名人の大橋宗桂と平手で指していること自体、只者では無いですけどね。

番号 対局者 手合い 番号 対局者 手合い
1 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 右香落 16 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 右香落
2 勝 (五代)大橋宗桂・多川勾当 右香落 17 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 右香落
3 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 左香落 18 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 平手
4 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 左香落 19 勝 (五代)大橋宗桂・多川勾当 平手
5 (初代)伊藤宗看・勝 多川勾当 飛車落 20 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 平手
6 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 右香落 21 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 平手
7 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 右香落 22 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 平手
8 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 右香落 23 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 平手
9 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 左香落 24 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 平手
10 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 右香落 25 勝 多川勾当・かぎや重兵衛 平手
11 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 左香落 26 かぎや重兵衛・勝 多川勾当 平手
12 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 右香落 27 かぎや重兵衛・勝 多川勾当 平手
13 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 左香落 28 かぎや重兵衛・勝 多川勾当 平手
14 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 右香落 29 かぎや重兵衛・勝 深津市郎兵衛 右香落
15 (五代)大橋宗桂・勝 多川勾当 右香落 30 勝 山崎勾当・仙台治左衛門 飛香落

※かぎや重兵衛とは、民間最高段位の七段になった森田宗立のことです。

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