はたらくおじさん 〜しょうぎさし〜

『やっほ〜♪やっほ〜♪ぼくタンちゃん〜♪わんわんわわ〜ん♪ぼくぺロくん〜♪
 まるい目くる〜り♪見え〜るかい♪ながい耳〜ぴく〜り♪聞こえるか〜い♪
 あ〜ってみようよ♪あのおじさん〜♪聞いてみよ〜うよ♪このおじさ〜ん
 タンちゃ〜ん♪ぺロくん♪ふたりでたんたんた〜ん♪はたらくおじさん〜♪
 はたらくおじさ〜ん♪こ〜んに〜ち〜は〜♪…』

タンちゃん「ペロくん、今日は将棋指しについて調べようと思うんだ。」
ペロくん「えー?将棋って趣味じゃないの?お金もらえるの?」
おじさん(三代伊藤宗看)「そうなんだよペロくん。江戸時代の将棋指しは江戸幕府からお給料を貰っている、公務員のようなものだったんだ。」
ぺ「いつ働いているのかなあ?」
お「先ず四月頃に江戸城に登城して、お目見えの儀式を行うのが仕事初めなんだ。」
タ「仕事初めって一月じゃないんですか?」
お「身分の高いものは一月二日に将軍にお目見えするんだけど、将棋指しは四月頃なんだよ。」
タ「ええ?将棋指しは武士じゃないの?身分低いの?」
お「残念ながら立場は御用町人と同じなんだ。後世の人が武士みたいに描いている場合があるけど、誤りなんだよ。しかも御用町人の中でも無官の医者より低くて、更に能役者なんかより格下だったんだよ。」
ペ「なんでそんなに低いの?」
お「将棋家の人もそう思って、せめて無官の医者と同格に扱ってもらいたいと思って運動したんだけど、幕府崩壊間際の混乱時まで認められなかったんだよ。お目見えといっても実際は老中や寺社奉行がいるだけで、将軍様には会えないんだ。そして献上物の扇子を収めて終了するんだよ。」
お「次に十一月十七日の御城将棋」
タ「知ってるよ、御城将棋の時は何があっても対局するから、親の死に目にも会えないっていわれたんだよね!」
お「それも誤りなんだ。初期の頃は御城将棋の日に指したんだけど、時間内に終わらないから前もって御城将棋を指して、それを将軍様の前で再現するようになったんだ。前もって指すのを内指しといって、大抵十一月十一日〜十四日頃までかけて指したんだ。そして御城将棋自体も病気だったり看病等の理由があれば休めたし、実際仮病で休んだ人もいたそうだよ。」
お「御城将棋が終わると十二月下旬に、お暇願いが許可されて、御城で老中から「暇を許可する」と言ってもらって、寺社奉行から下賜品を受け取って退出するんだ。それから次の年のお目見えまでは、休暇で江戸から離れてもいいんだよ」
タ「休暇中は何してるんですか?」
お「休暇中に地方の優れた将棋指しを勧誘して弟子にしたり、地方の将棋愛好家に、会ったりしたんだ。ただ、江戸を離れるには一応湯治に行くことにして許可をもらっていたんだ。」
ペ「下賜品って何もらえるの?」
お「白銀や小袖をボーナスみたいに貰えたんだよ。」
ペ「お勤めと言っても、三日くらいしか御城に行かないんだから、暇でいいなあ!」
お「でもね、毎日屋敷に誰かしら来て将棋の稽古をするし、大名とかには出稽古もするから、何もしてない日は無いに等しいんだよ。今のプロ棋士に比べて自由時間は少ないんだ。制約が少ない今のプロ棋士は恵まれているよ。」
タ「今のプロ棋士のトップだと1億円くらい貰ってるけど、おじさんはどれくらいお金もらえるんですか?」
お「貨幣価値が今と違うし、同じ江戸時代でも物価の変動があるから一概に比較はできないけど、家を継ぐと二十石十人扶持で今の約267万円。部屋住(それ以外の家元の将棋指し)だと十人扶持で約127万7500円くらいなんだよ。」
ペ「家元の当主になっても267万円じゃ貧乏だねえ。」
お「他に免状の発行報酬や300坪の家屋敷を拝領して、何とかやりくりしていたんだよ。」
ぺ「300坪って大きいなあ!!」
お「そうでもないんだ。江戸は新しい都だから、拝領地としては大きく無い方だったんだ。」
タ「でも年267万円だと今のプロ棋士のC1クラスと大して変わらないですね。」
お「実は、私の時は繁栄してたんだけど、後になると拝領地に借家を造ったりしてやりくりしたりして、結構大変だったんだよ。」
タ「江戸幕府の生かさず殺さずの政策ですね。」
お「ところで、今日は御城将棋の内指しが行われているんだ。それを見学しよう。対局者は四代大橋宗与と我が弟の伊藤看壽との右香落だよ。」
タ「魚釣りの一局というやつでしょ?有名ですよね。」
お「この対局も色々な逸話がついているけど、全て創作なんだ。例えばこの将棋を伊藤看壽が五段昇段の為の争い将棋と長く言われてきたけど、手合割りからいって八段の宗与と右香落なんだから、既に五段(あるいは六段)になっていたんだよ。あとのことは対局を解説しながら説明するよ。」


                             日が変わって御城将棋の日
お「今日は御城将棋の日だよ。今江戸城の前に集合した所だよ。」
ペ「寝ーい、、、。今何時?」
お「明六つだから、今の午前6時だね。これから碁と将棋の名人を先頭に、江戸城の中奥黒書院に行くんだよ。」
暫く歩く。
お「さあ着いた。これから対局だ。正確には対局の再現だけどね。」
タ「将軍様は居ないですね。」
お「将軍様は忙しいので午前11時過ぎに大抵来られるけど、将棋がそれほど好きじゃない将軍様だと顔を出さないこともあるんだ。」
大橋宗与と伊藤看壽の右香落戦の再現が昼の二時ころに終わる。
ペ「将棋が終わったのに帰らないの?もう飽きちゃったよ。」
お「これからが大事なんだ。御城将棋が内指しになった後は、時間が夕方まで余るから、その場に観戦に来ている有力者と将棋を指すことが、本当は一番大切なことなんだよ。」
暫く指導将棋を近習等とする。時刻は夕方の六時頃になる。
お「さあ指導将棋も終わった。後は食事をして帰るだけだよ。」(ちなみに食事は朝・晩の2食出る)
ペ「やったあ!ご馳走だあ!」
タ「あれ?おじさん何メモしてるの?」
お「食事は二汁五菜と、、、。ああ、これは食事を記録しているんだよ。」
タ「何故そんなことしてるんですか?」
お「食事自体が身分によって違うからだよ。例えば医者だと二汁七菜・能役者だと三汁十一菜なんだよ。」
タ「二つの汁物と五つのオカズにしては一杯あるみたいですね。」
お「五菜とはオカズの数では無くて、簡単に云うと御膳の数なんだ。だから一菜に五〜七品はいっていたりする場合もあるんだ。今回はお酒数献・お吸い物・お魚色々・一の膳・二の膳だね。その後お菓子に蜜柑と柿で、二度とも御濃茶を頂いたんだ。」
ペ「もうお腹一杯だあ!」
お「食事を食べたから帰ろうね。」
タ・ペ「はーい。」
江戸城から退出する
お「どうだったかな将棋指しは?」
ペ「将棋指してればいいから、いいなあと思った。」
タ「今のプロ棋士の方が自由でいいなあと思いました。」
お「では、この辺でさようなら。」


 「はたらくおじさん」とは?1961年〜1983年にかけてNHK教育TVで小学校2〜3年生向けの社会科の授業用の番組。一部に熱狂的なファンを今も持つ。後に働くのはおじさんだけではない!という下らない抗議によって「はたらくひとたち」というタイトルに変わったが、私的には「はたらく」ときて「おじさん」というネーミングが親しみやすくて好きだったのですが、、、。
 タンちゃんとペロくん(犬)が毎回色々な職業のおじさんに仕事を説明してもらうという番組で、この番組を見て鉄道の運転手やパン屋等の職業にあこがれ、早く働きたいと思ったのは筆者だけでは無いと思う。
 また毎回おじさんの声が八奈見乗児でどんな仕事も知っていて凄いなあ、と子供心に思ったものでした。
 細部を覚えてないから、エンディングは違ったまとめ方だったと思うのですが、、、。
附記:御城将棋の内容は簡略化して書いています。また、江戸時代は長いですから、御城将棋自体や家元自体の生活も一定では無いです。
 料理については天和二年のものを転記しました。また朝食については何時摂っていたのか不明です。

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