大橋虚子

 大橋虚士氏は京都在住で、戦前昭和十年頃〜戦後昭和30年前後まで長期に渡り作品を発表した、大スターだったらしい。村山隆治氏も戦中について「当時を回顧すると、内藤武雄、里見義周、土屋健、有馬康晴、大橋虚士、三上毅、田辺重信等がトップ・スターであった。」とあり、その中大橋氏だけが三百人一局集の選から漏れたのであった。
 作者について詳しいことは全く知りません。虚士というのは雅号だと思う。また大橋香月名でも作品を発表している。
 棋風としては、難解な中長編が多い。これは当時がどうも複雑で手数が長ければ良い作品であるという、作り方が流行っていたみたいで、大橋氏の作品も無理に長く複雑に作ったと思われる作品が多くて、今見るともっと短く切れば良いのになあ、と思う作品が多い。これは時代がそうであったのだと思う。創作する力は凄いのであるが、力の使い方が今と異なっていて、今風の評価では低いと思う。そのことが三百人一局集から漏れた原因と思う。
 一番有名な作品は龍ノコの作品で、これを見ると創作力はあるのだから、この作品のようにシンプルに纏める作品を多数作っていれば、もっと作品が知られたのではないかと思います。
 今回選んだ作品は氏の作品の中から軽めで、現代的にも評価出来る作品を選びました。本来の重厚で複雑な作品は私の好みでは無いので、選びませんでした。もし作者がご存命でしたら、不満な選題かとも思いますけど、、、。

昭和17年発行の「詰将棋ふきよせ」の42番であり、縦型龍ノコの2号局として有名である。氏の作品としては1番有名な作品。

昭和19年発行「詰将棋づくし」の20番です。打歩打開作品として、よく出来ていると思う。最後も決まっていて好作です。

「将棋月報」昭和18年5月号掲載。角金を桂に替える不利変換が面白い作品。

「将棋月報」昭和18年12月号掲載。手順前後はあるが、銀四枚を使って玉方の桂を翻弄し、最後も吊るし桂で締めくくり、軽妙な作品に仕上がっている。

「将棋月報」昭和18年12月号掲載。初形対称形で、手順だけなら現在でも入選級かと思いますが、収束3手前からの余詰が現代では痛いから、今なら不完全扱いでしょうが、当時は重箱の隅をつつくようなものであったので、載せてみました。

 今回紹介した作品であれば、前述の他氏に劣らない作家だったことが解るのではないかと思っています。

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