大小詰物考

 江戸時代は今と違い太陰太陽暦であった。と言われても今の人には解らないと思うが、詳しくはhttp://www.ndl.go.jp/koyomi/index2.htmlを見ていただきたい。これを見ると、当時の人たちがいかに大小暦について遊び心を持って扱ったかがよく解る。
 詰将棋において大小詰物というものがあった。これは江戸時代の大小暦と関連しており、駒の配置によってその年の大小を表しているのである。

 例えば左図は将棋妙案五番である。ここで11〜19・21〜99という順番で玉方と詰方に番号をつけてみると、玉方1・3・5・8・10・12で詰方は2・4・6・7・9・11である。これを上記のHPで見ると享保十一年に当るわけです。
 これが一般的な大小詰物の説明ですが、普通の人はさっぱり意味が解らないでしょうし、意味を感じないことでしょう。私も最近までそうでした。だけれども、昔の将棋ファンで恐らく正月に大小詰将棋で挨拶する人がいて、それが風流とされていたことは恐らく間違っていないと思う。
 今の詰将棋ファンも年賀詰将棋を必ず作りますからね。

 以下は「詰棋めいと創刊号」の「大小詰物」磯田征一氏の記述を補完したもので、追加と書いてあるものが今回筆者が追補したものです。今回は従来不明局とされたものを出来るだけ解析し、全て並ぶようになっているのが、ささやかな自慢です。
 なんのことか解らなくても、過去の将棋ファンの風流心を解ってもらえれば良いかと思います。

大小詰物一覧表

No 作者 書名 番号 年号(西暦) 大小基準 備考
1 久留島喜内 将棋妙案 5 享保11(1726) 初形 玉方大、詰方小
2 7 元文4(1739) 不詰・余詰
3 桑原君仲 将棊極妙 11 安永5(1776) 詰上り
4 14 安永7(1778)
5 17 天明4(1784)
6 20 天明7(1787)
7 23 寛政元(1789)
8 26 寛政3(1791)
9 不明 なし(単辺) 寛政4(1792) 詰方大、玉方小 あぶり出し
10 寛政5(1793) 初形 玉方大、詰方小 象形・誤図?
11 詰上り 詰方大、玉方小 あぶり出し
12 桑原君仲 将棊極妙 27 寛政5(1793) 詰方大、玉方小
13 28 寛政7(1795) 玉方大、詰方小
14 29 寛政8(1796) 詰方大、玉方小
15 30 寛政9(1797)
16 31 寛政10(1798) 玉方大、詰方小
17 32 寛政11(1799) 詰方大、玉方小
18 35 享和元(1801)
19 38 享和2(1802) 玉方大、詰方小
20 41 享和3(1803) 詰方大、玉方小
21 44 文化元(1804) 玉方大、詰方小
22 47 文化2(1805)
23 50 文化3(1806)
24 藤田桂立 将棊兀多雑集 36 文化9(1812) 追加
25 和中 象戯童翫集 39 文化11(1814)
26 眞野政吉 将棊兀多雑集 24 文政12(1829) 追加
27 25 天保2(1831) 追加
28 26 天保4(1833) 追加
29 27 天保5(1834) 追加
30 天野宗歩 なし(単辺) 嘉永5(1852) 初形 象形・不詰
31 渡瀬荘次郎 安政5(1858) 銀以上大、桂以下小
32 安政6(1859) 生駒大、成駒小 誤図か?
33 山本正晴 将棊雑爼抄 (1) 慶応3(1867) 銀以上大、桂以下小

※No2に関しては享保15(1730)も該当しており、どちらが正しいか意見が分かれる所である
※No1に関して享保7年(1722)の可能性もある、とのご指摘を岡本さまからいただきました。

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