Yafooオークションで「復刻版山村兎月の大道棋四百番(昭和39年臨時増刊)」を入手したのは2003年4月のことでした。前の所有者が有名詰将棋作家のI氏だったのには驚きました。彼は私のことも知っておられ二度ビックリでした。
まあ、そんなことはさておき、なにげなく並べていたところ、その第17番に下図がありました。大道棋の本なのに何故か龍ノコでした。
しかしながら、よく考えると「大道棋四百番」の原書の成立は昭和十年頃であり、作品自体はそれ以前と考えられます。そこで思ったのは少なくとも縦型龍ノコの1号局ではないかという疑いでした。
ここで龍ノコの作品リストを「詰棋めいと第20号・木挽唄集(一)」から最初の5局を抜粋してみましょう。
作者 | 初出 | 発行年月 | 備考 |
久留島喜内 | 橘仙貼壁 | 江戸時代末期 | 龍ノコ1号局・横型・不完全 |
前田三桂 | 将棋月報3・11 | 昭和三年十一月 | 龍ノコ完全作第一号・横型 |
今田政一 | 将棋龍光22番 | 昭和十六年五月 | 横型 |
有馬康晴 | 詰将棋吹き寄せ47番 | 昭和十七年 | 縦型龍ノコ1号局? |
大橋虚士 | 詰将棋吹き寄せ42番 | 昭和十七年 | 縦型龍ノコ2号局? |
これはひょっとすると、作品自体は前田氏の作品より前であれば、龍ノコ2号局。少なくとも縦型龍ノコの1号局ではなかろうか?これは大発見か?と思いました。ただ、縦型1号局のであるのに、洗練されていて、ひっかかる点はありましたが、、、。
ちなみに上記の作品は加藤徹氏のHPおもちゃ箱で見れます。http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/kenkyu/ryuindex.htm
さてこの内容を「詰棋めいと」に発表しようと思っていたところ、発行人の森田正司氏が平成十五年五月十二日に亡くなられてしまったのでした。このことは私にとって可也のショックでした。この件をどこかに投稿する気はすっかり失せてしまいました。そのショックも和らぎ、「詰棋めいと」の無いバックナンバーを古本屋で全冊揃え、「詰棋めいと21号木挽唄集(二)」を見て驚きました。下記の図があるではないですか!!
「詰将棋パラダイス昭和二十六年一月号 京洛愛棋生 作」がそれです。「大道棋四百番」の第17番と三一香が三二香になっているだけで、手順は全く同じではないですか!
前後しましたが、「大道棋四百番」の第17番の図は三手目より72成桂以下の早詰があり、京洛作はそれを修正してあるのです。(但し、尚且つ京洛作でも7手目72成桂以下の早詰があります。)
さてここで私の疑問です。
1.「大道棋四百番」の第17番の作者と作成年月日はいつか?
2.京洛愛棋生とは誰のペンネームなのか?
3.「大道棋四百番」の第17番は縦型龍ノコの1号局なのか?
4.元々の「大道棋四百番」の第17番の図は上記と同じなのか?別の詰将棋と入れ替わっていないのか?
以上、どなたかお教え願いたいのです。
上記の研究を書いてから、門脇芳雄さんとやりとりした結果、次のようなことが明らかになりました。
先ず、問題となっている作品は「将棋月報昭和十年12月号」の「大道詰将棋考據」に作者名は大道棋として掲載されていたそうです。
京洛愛棋生については、旧パラ初期の大道棋欄担当の村野実(村野南外)か大橋虚士ではないかと推測していますが、正確には不明です。
まとめますと。
1.「大道棋四百番」の第17番の作者と作成年月日はいつか?・・・「将棋月報昭和十年12月号」の「大道詰将棋考據」に作者名は大道棋として掲載
2.京洛愛棋生とは誰のペンネームなのか?・・・旧パラ初期の大道棋欄担当の村野実(村野南外)か大橋虚士ではないかと推測していますが、正確には不明です。
3.「大道棋四百番」の第17番は縦型龍ノコの1号局なのか?・・・そう考えてよさそうであること。
4.元々の「大道棋四百番」の第17番の図は上記と同じなのか?別の詰将棋と入れ替わっていないのか?・・・同じ
以上です。
さらに、それ以外の作品の補足をしておきます。
有馬康晴作は将棋月報昭和十七年3月号に「鋸引募集」として龍の縦鋸引きを懸賞募集し、例題として吹き寄せ47番の原型を掲示し、それに応募して大橋作が十七年5月号に載ったそうです。