将棋手段草の研究

 「象戯手段草」は享保九年に(或は享保十三年か?)「将棋無双」「将棋図巧」に先駆けて出版された作品集で、「飛先飛歩」「四銀詰」「銀ノコ」など色々な注目すべき作品が入っている。しかも作者についても謎があって、一応「伊野部看斎」であろうと言われている。まあ、こんなことは今までの研究で知られている当たり前のことではあるが、最近初めて百局全部並べてみて気がついたことがあったので、書いてみよう。というのがこの文章の趣旨である。
 で、何に気がついたかというと、並べてゆく内に、やけに詰め方の駒が捌けることに気がつき、調べてみたところ、清涼図式が48局もあったのです。清涼図式というのは岡田敏氏が昭和50年代に提唱した図式で、玉方の駒に関係なく、詰方の駒が二枚で詰上る図式のことであり、その成果は昭和57年発行の「清涼図式」百局に収められている。
 本論考では岡田敏氏の「清涼図式」とも対比させながら、「象戯手段草」について考察してみたい。
 個々の作品については「詰将棋博物館」にアクセスして確認していただきたい。
 どれが清涼図式にあたるかというと、1・13・15・17・19・20・21・22・23・24・26・27・30・31・34・35・37・38・39・40・42・43・44・52・53・55・57・59・60・61・62・63・65・67・68・72・74・77・78・81・83・84・85・88・89・90・92・99の48局である。
 ちなみに、4・10・11・36・45・49・64・69・70・76・79・80・95・96・97・98の16局は詰方の駒が三枚になる、準清涼図式であることも、申し添えておきます。
 最初に書いておきますが、これは作者が意図的にやったことであると思います。私自身も拙い詰将棋を作るのですが、全く捌けなくて清涼図式や準清涼図式には殆どなりません。「象戯手段草」は81格の全格配置を達成した初めての作品集でもあり、そういった駒配り等の美意識をもった初めての作品集でもあるようです。

(とどめの駒)
 (軸駒) 成銀 成桂 成香 軸駒計
清涼図式 3 1 1 1 1 1 8
手段草 2 1 3 1 1 8
清涼図式 2 2 6 1 1 2 14
手段草 2 1 1 1 5
清涼図式 1 1 1 3
手段草 2 1 1 4
清涼図式 2 1 1 1 5
手段草 1 1 2
清涼図式 2 6 1 1 2 12
手段草 5 1 2 1 9
清涼図式 6 6 5 1 18
手段草 9 1 10
清涼図式 4 7 2 13
手段草 1 1 2
清涼図式 1 1 1 3
手段草 1 1
清涼図式 1 2 3
手段草 0
成銀 清涼図式 1 3 4
手段草 1 1
成桂 清涼図式 0
手段草 1 1
成香 清涼図式 1 1
手段草 1 1 2
清涼図式 7 4 1 2 1 1 16
手段草 2 1 3
とどめ駒計 清涼図式 25 29 3 0 21 5 1 1 0 5 2 1 7 100
手段草 23 11 0 0 6 1 3 0 0 3 0 0 1 48

 上記の図は、「清涼図式」にも出ている分類表である。軸駒とは詰め上げる駒を支える駒で、とどめの駒は詰め上げている駒のことである。最終手非限定の場合は直前の軸駒を軸駒としている。
 「清涼図式」も「手段草」も軸駒は銀が一番多いがとどめの駒は「清涼図式」が馬であるのに対し、「手段草」は48局中23局も竜である。これは「清涼図式」が最後まで捨駒があるのに対し、「手段草」が竜の追廻で詰ますからの違いである。
 その辺は捨駒中心の「清涼図式」と構想中心の「手段草」の違いとも言えよう。
 次に詰方の駒の消去数について考察してみたい。

消去駒数 ―1枚 〇枚 一枚 二枚 三枚 四枚 五枚 六枚 七枚 八枚 合計
清涼図式 13 30 32 19 4 1 1 100
手段草 6 7 6 12 8 5 3 1 48

 「清涼図式」を見て驚いたのは、最初詰方の駒が一枚のものが多いことで、詰上がりの詰方の駒がかえって増えていて、清涼な感じがしない様な気がしたことです。そして消去数も−1〜2枚迄が殆どです。一方「手段草」は3枚が一番多く、「清涼図式」より相対的に消去数が多いのには驚きました。
 ただこれは、元々の総駒数が「手段草」全然多いので当然といえば当然とも言えます。


 従来「手段草」の分析は新手筋や全格配置は取り上げられていましたが、それ以外に清涼図式の意図もなされていたわけです。こういう観点から見ますと、好作で尚且つ清涼図式且つ格配置をした作者の力量は、凄いものがあります。清涼にならなかったものでも、詰方の駒を出来るだけ減らす意図もあり、近代美意識を先取りしたものと言っても良いと思います。
 私もこのことに気がつくまでは、古図式で一番現代感覚に近いのは桑原君仲の「将棋玉図」かなあ?と思っていたのですが、「象戯手段草」こそ時代を300年近くも先取りした作品集として、新たな分析がなされるべきではないでしょうか?

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