詰将棋のルールについて

 詰将棋のルールは難しい。詰将棋を創作し、かつ解答をしていて、可也マニアな私でもよく解らない。一応公式ルールとして1963年3月に全日本詰将棋連盟(実質的に詰将棋パラダイスルール)が発表した、詰将棋規約(俗に言う「綿貫規約」)があるが、パラのHPのどこにも書かれていない。それどころか、綿貫規約の内容を今の詰将棋パラダイスの関係者でも知らないようだ。これは著しく問題だと思う。そこで、本稿では詰将棋のルールについて少なくとも、現在公式ルールとされている、綿貫規約を紹介すると共に、若干の考察を加えたいと思う。
 繰り返しますが、綿貫規約は現在公式ルールである以上、時代にそぐわない面があるにしろ、詰将棋パラダイスのHPにでも載せて、誰もがルールを閲覧出来るようにすべきだと思うのですが、載っていないので止むを得ず本HPに載せて誰でも閲覧出来る様にするのが趣旨です。
 先ず、詰将棋が生れて約400年であるが、@最初は実戦の終盤の部分図に近かった。そして、詰上がりに持駒が余ることは認められていた。ただ余詰は認めないというスタンスは最初からあったようだ。⇒A初代伊藤宗看の頃になると駒余りは殆ど見られなくなった。手順については妙手説(妙手の入っている作意手順が正解で、変化が長くても俗詰の場合は正解としない考え方)を採用していた。⇒B明治・大正・昭和初期になると、妙手説もとっていたが、極端に変化が長いものは序々に少なくなり、だんだんと受け方最長手順説に移行していった。これは詰将棋がそれまでと違って、新聞・雑誌で解答募集されるようになり、妙手説では正解の判定が難しいことも、無縁では無かったのだと思う。⇒C戦後になると最長手順説がほぼ採用されたが、二手変長くらい(場合によっては4手変長以上も)は許容されていた。⇒D現在は二手変長も殆ど出題されなくなり、変同ですら厳しい目が注がれるようになってきている。
 こして見て行くと、詰将棋というのは慣習法だということだ。綿貫規約が出来たって、川崎規約(案)が出来てもその時々の流れが実質的なルールのようになっている。
 私自身は詰将棋規約は、あくまで詰将棋パラダイスルールであって、一般将棋ファンには何にも関係ないと思っている。一般将棋ファンはプロの詰将棋の本に書いてある、1ページ位のルールの認識しかない。無駄合い等の問題はマニアな世界の話しで、啓蒙作品には無縁である。
 大体、あんなに長い規約を覚えるのは不可能で、一般向けにはプロの詰将棋の本に書いてある、1ページ位のルールで十分だと思っている。でも、詰将棋パラダイスは専門誌で高度な作品が多く、合駒が複雑なものも多く出題されるので、詰将棋パラダイスルールが必要なのは否定しません。ただ詰将棋規約を制定しても一般的には理解されないし、理解する気も無い人達が圧倒的多数なことをマニアである私たちは忘れないほうが良いと思う。
 では、詰将棋のルールについての載せてみたいと思う。

一般的なプロの詰将棋の本に載っているルール
綿貫規約
川崎規約(案) 工事中

 綿貫規約自体は時代に合っていない部分が多数ある。一番大きなものが、本詰や准詰という考え方で、そういう考え方自体が廃れていると思う。
 他に気がつく点としては、双玉の詰将棋は普通の詰将棋として認識されていないこと。つまり規約上は普通の詰将棋では無いのであるが、今はだいぶ認められてきている。
 今の詰将棋パラダイスは昔と違って、不完全作の入選取り消しをしていませんが、これは規約から考えると可笑しいのですが、冬眠中だったので何故そうなったのか経緯が解りません。
 最近、(詰将棋パラダイス2009年9月号)詰将棋の引用には出典を載せるように、決まったかのように、全日本詰将棋連盟の指針が出されましたが、全日本詰将棋連盟が制定した綿貫規約の倫理規定[丁]に50年近く前に書かれていたことで、今更初めて決まったような書き方をしているのは、可笑しなことだと思います。
 最後に、私は詰将棋規約について議論する気は全くありません。上記の意見も個人的意見です。ただ、詰将棋の今現在の一応の公式ルールである、綿貫規約について誰もが見られる物を作りたかっただけです。

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